わがままは言わないって決めたけど
「歯が治ったら......」Aさんが言った。「歯が治ったら、一番良い服を着て町に行きたい。お化粧もして指輪もはめて、髪も切って......」
それはすてきですね。町へ行って何をしたいですか?
「レストランで、ごはんを食べたい。自分で選んで好きなものを食べたい......。私はね、事故で怪我をしてから、いろんな事が出来なくなった。いくつも病院へ入院したし、あちこち手術もしたの。それで娘が世話をしてくれたんだけど、苦労をかけたなって思うから、わがままは言わないって決めたのよ」
私の変な歯でも何も言わずに「治しましょう」と言ってくれた
「そのうち、歯も少しずつ悪くなって虫歯になったり、抜けたりした。だけど、もう外へ行くこともないし、誰かと出かけることもない。友達も来なくなっちゃったしね。だから歯なんか治さなくてもいいと思ってたのよ。お金もかかるし、娘に負担はかけられないでしょ。もう、歳も歳なんだしね......。外に出かけるときはマスクをすればいいでしょ」
それなのに訪問してくれる歯医者さんに治してもらいたい、と思ったのはなぜですか?
「ふふふ......。あのね、先生がちょっと亡くなった主人に似ていて優しそうだったの、私の変な歯でもね、何も言わないで『治しましょう』って言ってくれたのよ。治してもらってもいいかなっておもったのよ」
こうして歯の治療が始まって4回目を迎えました。Aさんは訪問歯科の先生が来るのを心待ちにしています。
「歯が入ったらすてきになりますよ」と言われたことを本当に嬉しそうに、デイのメンバーに内緒話をしていました。